世界で最も長い道路はどこ? ナスカも通る【パンアメリカンハイウェイ】を徹底解説!

ペルーや南米の知識
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世界で最も長い道路。

ペルーを走っているこの道路。

さて一体どこからどこまで続いているのでしょうか。

ニッペママ
ニッペママ

今回は『パナメリカナ・ハイウェイ』にルーペ!!

(ペルーではパンアメリカンではなくパナメリカナと呼ぶよ)

パナメリカナ(Pan-American)ハイウェイとは

表記はPan-American Highway
パン・アメリカン・ハイウェイまたはパナメリカナ・ハイウェイと読みます。

2つの大陸を南北に結んでいて、北米大陸の端っこ(北端)から南米大陸の端っこ(南端)までを走ることができる道路(幹線道路網)で、

なんとその距離、40,000km超!!!

多くのサイトでは48,000kmと表記されていますが、それも正確なものかどうかはっきり言いきれないので40000km超と表現しておきます。

ニッペママが調べたところ、ルートによって違うようで海外のサイトでは約25,000km~43,000kmと記されているものもあり。数千キロの単位で誤差があったりします。

いずれにしても、凄い長さですよね!!

ではこんな長い距離、一体どこを走る道路なのでしょうか。

パナメリカナ・ハイウェイはどこを走る道路?

始点(北):アラスカ北部、北極海沿岸のプルドー湾
終点(南):アルゼンチンの都市ウシュアイアのバイアパタイア

なんと合計14ヶ国を通っているというので驚きです。

14の国

カナダ、アメリカ、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、コロンビア、エクアドル、ペルー、チリ、アルゼンチン

これだけの国を跨いでいるなら、
世界で最も長い道路というのが納得ですね!

実はまだ開通していない未完成の区間がある!?

でも全区間が繋がっているかと思ったら、実は未開通で走行できないエリアがあるんです。
それは、パナマとコロンビアの国境にあたるダエリン地峡ダエリンギャップ)と呼ばれる山岳ジャングル。ここに87 kmの未完成な区間があります。
この未開発の山岳ジャングルは160km、幅50kmで、大西洋から太平洋に伸びています。

なぜ未完成になっているのか

それは、経済的や政治的な理由の他に、パナマと一部の組織からの反対があったからなんです。よって道路の建設は中断されました。

【反対の理由とは】
山岳ジャングルであるこの場所は、世界で最も生物多様性に富む自然保護区の1つ。その生態系が、道路の建設によって脅かされる、変わってしまうこと危惧したためだとされています。
ダエリンギャップを保護することは、この熱帯雨林地域の保護、人々の文化や生計の保護先住民族であるクナ族の熱帯病の蔓延の防止口蹄疫の侵入を防止といった意味があるのです。

では、この区間を突破する方法はあるのでしょうか?

その方法を調べてみました。

未完成の区間を突破する方法とは

ダエリン地峡を車で突破する手段はです。
しかしこの船は通常、パナマからコロンビア(またはコロンビアからパナマ)まで数日かかり、費用は1,000ドル以上(車のサイズによる)かかるようです。

または車両をコンテナ等で輸送して運転手は飛行機で向かうという手段も。
いずれにしてもダエリン地峡を渡るのは大変ということですね。

ダエリン地峡に関する本のご紹介

このダエリン地峡について調べていたら、とても興味深い本に出会いました。
開高健ノンフィクション賞で最終選考作品にも選ばれている作品。
『ダエリン地峡決死行/北澤 豊雄』

なんと著者の方ご本人が、ダエリン地峡を徒歩で横断することを試みたという体験が綴られているそうです。

実はダエリン地峡は、世界で最もと言われるほどの危険地帯なのですが、そんな場所をたった1人で歩いて突破しようとしたんだそうです。一歩間違えれば・・・というとても真似のできないことですよね。
ニッペママは近々読んでみたいと思っています。

パナメリカナ自動車道の起源

では北アメリカから南アメリカまで続くこの道路は、一体どのようにできあがったのでしょうか。

その歴史を見てみると、最初から一つの道路として建築しよう!と決まって建設されたものではないことがわかります。(さすがにこれだけの多くの国をまたぐ道路の建築は、そう簡単に計画できるものじゃないですもんね…)

どのようにパナメリカナ・ハイウェイができたのかが気になります。

どんな歴史があるのか見てみましょう。

インカ帝国時代

ひとつの説として、この道路が作られた最初の発端はインカ帝国時代。つまりアメリカのコロンブス以前の時代だと断言する歴史家がいます。
この時代にはキトとサンティアゴデチリをつなぐ16,000kmに及ぶ道路が存在していたという証拠が見つかっているからです。

そしてもうひとつの説が正式な起源とされているのでご紹介します。

第5回汎米会議

●ワシントンで開催された第1回汎米会議1889年)で仮説誕生
汎米会議は米州諸国の協調と連帯を目標に開催される国際会議。この会議で、アメリカは、近隣諸国と、大陸にまたがる鉄道を通じてより緊密なつながりを作ることを提案。

チリで開催された第5回汎米会議1923年3月25日から5月3日
米州諸国の協調と連帯を目標に開催される国際会議にて、このパナメリカナ・ハイウェイが提唱された

●ブエノスアイレスで開催された第1回パンアメリカンハイウェイ会議1925年10月25日
メキシコからアルゼンチン首都までを南下する高速道路の計画が提示された。

●1940年代から着工し、1950年メキシコで高速道路の最初の部分が完成。

●1950年代にかけてパナメリカナ・ハイウェイの大部分が建築された。

各国をつなげるルートがどのように結ばれたのか

幹線道路網がどのようにできあがったのか。
全ては紹介しきれませんが、主要とされるルートの歴史等を追って見ましょう。

アラスカ(アメリカ合衆国)

パナメリカナ・ハイウェイの出発点にあたるのがアラスカのダルトン・ハイウェイというルート。
アラスカのプルドー湾からフェアバンクスまでの662kmの道路のことをさします。

1974年に、アラスカ横断パイプラインシステムをサポートする供給道路として建設され、「世界で最も危険な道路」のリストに含まれる最初の道路でした。

フェアバンクス→デルタジャンクション(アメリカ合衆国)

フェアバンクスからは、アラスカハイウェイの北端にあるデルタジャンクションへの155 kmのリンクをたどります。

フェアバンクス→ドーソン・クリーク(カナダ)

アラスカ・ハイウェイというルート。
このルートは何度か見直しが行われ、距離が少しずつ短縮しているが、1942年に米国陸軍工兵隊によって建設されたもので、カナダ経由でアラスカとアメリカを結んでいる。当初の距離は2,688mあった。

2012年から2,232 kmに短縮され、アラスカハイウェイは、アラスカ州デルタ・ジャンクション(アメリカ)からユーコン準州ホワイトホース(カナダ)を経由し、ブリティッシュコロンビア州ドーソン・クリーク(カナダ)までの道のりをさす。そこからはカナダのアルバータ州のエドモントンに向かっている。

ドーソン・クリーク→ヌエボ・ラレド(メキシコ)

2つのルートがあります。

1つ目は、ミネソタ州東部ミネアポリス(アメリカ)を通り、ダラス・フォートワースを通過してテキサス州ラレド(アメリカとメキシコの国境付近)に入る州間高速道路35号線。

2つ目は、アルバータ州カルガリー(カナダ西部)と、モンタナ州ビリングス(アメリカ)を経由し州間高速道路25号線に接続。コロラド州デンバー(アメリカ)を経由してニューメキシコ州ラスクルーセス(アメリカ)に至り、そこから州間高速道路10号線を経由してテキサス州サンアントニオ(アメリカ)に至り、最終的に1つ目のルートに合流する。

カナダとアメリカを通る高速道路の公式セクションがないため、メキシコのヌエボラレドまで他の多くのルートが可能。

ということで、アメリカからメキシコを結ぶルートは複数あってどれが本線なのかははっきりしていないようです。

ヌエボ・ラレド→ヤヴィザ(パナマ)

パンアメリカハイウェイの最初の公式セクション。

ヌエボラレドからメキシコシティを通り、メキシコ連邦ハイウェイ45号線とメキシコ連邦ハイウェイ190号線に沿ってグアテマラとの国境に至ります。そして中央アメリカを通り、グアテマラ→エルサルバドル→ホンジュラス→ニカラグア→コスタリカ→パナマと、多くの国をつないでいます。
パナマのヤヴィザで突然終了し、ダリエンギャップに面しています。

パナメリカナ・ハイウェイの最高標高はコスタリカ!

コスタリカで標高は最高地点(3,505 m)に達し、晴れた日には2つの海が見えます。

パナマ→コロンビア

ダリエンギャップについては前述のとおりです。

何年にもわたって、多くの探検家が地域を調査しギャップに惹かれ魅了されてきました。

1510年、スペイン人によってサンタ・マリア・ラ・アンティグア・デル・ダリエン(Santa María la Antigua del Darién)、アメリカ大陸最初の開拓地が設立されました。ダエリンギャップは、征服の時代と同じように今日も荒々しいままです。

1971年には、米国の資金の助けを借りて始めた領域を通じて道路を構築することを計画したものの、わずか3年後に中断。その後、1992年に再度道路の建築を試みましたが、1994年に国連機関は「道路が広範囲の環境破壊を引き起こす」と主張たのです。

他のアイデアとして、「コロンビアからパナマの新しいフェリーポートへの短いフェリーリンクの実装」「既存のパナマハイウェイの延長」「橋とトンネルを組み合わせた建設」などがありましたが、どれも実現されていません。

コロンビア→エクアドル

再び道路が再開するのはコロンビア北西部。コロンビアハイウェイ52号線でメデジン(コロンビア)へ向かい、コロンビアハイウェイ11号線でチリ方面へ南下します。

エクアドル→ペルー→チリ

エクアドルでは国の首都であるキトを横切っています。キトはインカ帝国第二の都市として栄えた地域。首都の中で標高の高さは世界で2番目。2,850mもあります。

その後、ペルーに向かい、ペルーハイウェイ1号線をたどります。首都のリマや地上絵で有名なナスカなどの都市を通る道路ですね。チリに向かう途中にはアタカマ砂漠に遭遇します。

このエリア(キトからチリの首都であるサンティアゴ・デ・チリを結ぶ王道)が前述したように、インカ帝国時代にはすでにあったとされる道路です。

ブエノスアイレス→ウシュアイア(アルゼンチン)

アルゼンチン国道3号線のブエノスアイレスからアルゼンチンのウシュアイアまで3,045 kmのルート。

パナメリカナ・ハイウェイの特徴

  • パナメリカナ・ハイウェイは国によって名前が異なる。
  • 雨季(6月から11月)は大陸の中央部で洪水が発生する可能性がある
  • 5月から8月にかけては南部、11月から3月にかけては北部は降雪の問題もある
  • 世界最長の走行ルートである
  • 南米では3か国の山脈(コロンビア、ベネズエラ、エクアドル)を通過している。
  • 南米の首都のほとんどを走っている。

パナメリカナ・ハイウェイを舞台とする記録

世界最長を誇るこのパナメリカナ・ハイウェイ。
この道路を舞台にさまざまな挑戦者がいて、ギネスにはさまざまな記録が刻まれています。そのうちの1つをご紹介。
ギネスのホームページを見てみると面白いですよ。

ディーン・スコット氏 自転車で最速記録

ディーン・スコットさん(40歳)。
2018年5月にアルゼンチンをスタートし、110日間でアラスカに到着。南米大陸を自転車で最短で走破した人として記録に残りました。

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この記事を書いた人は

酉年生まれのアラフォーママ。
申年の夫と申年と戌年の息子がいる。

日本とペルーがモチーフのショルダーバッグがトレードマーク。中にはいつもルーペが入っている。

夫のいるペルーへ2020年4月に移住予定だったが、COVID-19の影響で国境閉鎖になり渡航できずにいる。

早く安心安全な生活が戻り、ペルーへ行けることを願っている。

→2020年12月、次男の熱傷事故により渡航は断念。日本で子供2人と3人だけでの生活に奮闘中。

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